1-1.マーケティングは経営そのものである。

「マーケティングは経営そのものである。」と聞くと違和感を感じるでしょうか?
おそらく一般的には、 経営はもっと広い概念であり、マーケティングはその1つの機能であるという考え方なのではないでしょうか。

しかし、私は敢えて「マーケティングは経営そのものである。」と主張させて頂いています。 どういうことか、以下に説明しましょう。

「マーケティング」の定義は色々な表現がされていますが、「売れ続ける仕組みを作ること」と理解して良いと思います。

一方、経営とは何でしょうか?
こちらもシンプルに考えましょう。「経営とは、企業の目的を達成するための行動である」と言えるのではないでしょうか。

※厳密な定義は、書籍やWikipediaなどに載っているものを参考にしてください。あくまでここでは、より簡単に理解をするということで記載しております。

では、「企業の目的」とは何でしょうか?
改めて考えると、企業によって違うし、一概に言えなさそうとか、売上をあげること?という風にも思えてしまいますよね。

しかし、これに対して、ズバッとシンプル明快な答えを出してくれている偉人がいます。


それは、かの有名なP.F.ドラッカー氏です。

ドラッカー氏の言葉はこうです。
「企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。」

とてもシンプルですね。しかし、それでいて重みのある言葉です。

「顧客の創造である。」

この真意はどこにあるのでしょうか。考えてみましょう。


まず、 企業は社会の課題を解決する手段を提供していきますよね。しかし、この段階では、顧客がいる訳ではないのです。顧客の候補がいるだけです。

例えば、かつて「自動車」という商品が市場に誕生した時、「馬車」が主流だったはずです。
つまり、素早く移動する手段としては既に存在していたわけです。

しかし、馬は生き物ですから、寿命もありますし、怪我や病気もしてしまいます。 ずっと乗り続ける事もできません。世話も必要です。

そういったところに、人々の中で隠れたニーズがあったのかもしれません。
しかし、ニーズがあるだけでは顧客にはなり得ません。

その「自動車」という未知なる商品に、対価を払おうと思ってもらわなければなならないのです。そこが成立して初めて「顧客が創造された」ということになります。

つまり、商品を作っている、研究していることは企業の目的ではない、ということは言えそうですね。

そして、「社会が対価を払って欲しがるものを作る」、これこそが企業の目的だと解釈できる訳です。

お気づきでしょうか?「顧客の創造」は、マーケティングの目的そのものですよね? 「売れ続ける仕組み」=「顧客を創造し続ける仕組み」であるからです。

つまり、「経営とは、マーケティングの目的を果たすことである」と言ってもおかしくないということになります。


そして、逆に「マーケティングは経営そのものである」という事も、同様に顧客の創造という同じ目的にしている機能であるから、正しいと言えることに理解していただけるのではないでしょうか。

しかし、具体的にご自身が所属される企業に照らして考えだすと、まだ違和感があるかも知れません。

経営では、人事戦略を立てる、それはマーケティングなのか、と。
はい、マーケティングです。売れ続ける仕組みを作るために、優秀な人材が必要だから採用するのです。

では、財務戦略はどうか。マーケティングなのか、という人もいるでしょう。
はい、マーケティングです。売れ続ける仕組みを作るために、キャッシュなどの資本が必要で、そのためにどう集めてくるかを考えるのです。

このように、顧客の創造を達成するために、全ての機能があると考えると、「マーケティングは経営である」と言えると考えます。

特に、昨今の消費者主導型の世界において、このマーケティングという概念が、経営を飛び越えたのではないのかと、私は考えています。

では、「経営」という言葉はいらないんじゃないかと、言いたくもなりますが、
この点では、「経営」は管理をする事、つまり、目的の達成のために内側のリソースを管理する事に主眼を置き、 「マーケティング」として使うときには、外向きのリソース活用に主眼を置くので使い分ける事が必要になってきます。

つまり、厳密には「顧客の創造」という共通の目的を達成するために、内向きと外向きの両輪をなしているのが「経営」と「マーケティング」であると言えるのです。


両者は視点、見方、見る方向の違いさえあれ、行なっていることは同じであると言えるのです。
この両輪は、当然同じ目的でレベルを合わせていかなければならないため、同等レベルで最高の意思決定がなされなければなりません。

その意味で、「経営はマーケティングであり、マーケティングは経営である」と考えるべきであると思うのです。
このことを理解しておくと「マーケティング」というものが企業にとって無視できない存在であることは少なくともご理解いただけるのではないでしょうか。

いかがでしょうか。少し哲学的なところもあり、言葉遊びに思えるところもあるかも知れません。「結局、同じではないのではないか」と思われたかも知れません。


しかし趣旨として、「マーケティング」というものがそれほど重要なことであるということは少しご理解頂けたのではないかと思います。これが重要なのです。

こう捉えると、「マーケティングを外注する」という響きに違和感を感じていただけるでしょうか?
なぜなら、 「経営を外注する」なんていうと成立しないはずですが、「マーケティングは外注されうるもの」として捉えられている風潮があるように思うのです。

要するに言いたかったことはここなんです。
「マーケティングを外注する」なんてことは、あってはいけない、ありえない、そう考えていただきたいのです。


もちろん、その実行部分をアウトソースしたり、支援をもらうことはありますが、その責務の中心は経営者自体が持たなければならない、その意味で「マーケティングは経営である。」という表現をさせて頂いています。

また、同様に「若い奴はマーケティングができない!」とか「マーケティングを極めました!」みたいな言葉に、私は違和感を感じてしまいます。特に、すごい人や偉い人がこういう表現を使っていることが多く、少し残念に感じてしまうことがあります。その人のすごさは変わらないのですが、何か守りに入っているような、自分で作った”マーケティング”と手書きで書いた「印籠(いんろう)」をかざしているようにすら見えてしまいます。私は「そんなことをしなくても、あなたの実績は十分すごいんですから…逆にやめてほしいな」、と思ってしまうのです。

私の考えですが、「マーケティング」の実践度や理解は、”程度”の問題であり、ゼロかイチか(できるかできないか)の話でもないですし、より良いものを求め続けるものであり、極めるようなものではないのかな、と思います。

「もっとマーケティングを考えようよ」とか「マーケティングから考えることが得意です」とか「マーケティングの手段の広告について詳しいです」とか、そういう表現をすれば良いのかな、と思います。

そして、「経営そのもの」と書きましたが、これは経営者だけの意識のものではありません。全ての企業活動が「マーケティング」起点であるべきだと考えます。

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